原刊於《MONKEY》vol 11,松本大洋的母親工藤直子的詩作《「いる」じゃん》,加上松本大洋繪畫插畫,結集成書出版。為紀念「いる」じゃん 的出版發行,出版社 Switch 訪問了兩位關於此書中想表達的想法以及製作中的心情。
記者 新井敏記
中文翻譯 Erica Li
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原文訪問放在文末
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第1回「文字的魔法」
2017 年 7 月 7 日——七夕。
這天是我跟重要人物相遇的日子。
這天全日本書店的書架上加了一本繪本。
『「いる」じゃん』
是詩人、童話作家「工藤直子」與漫畫家「松本大洋」的合作作品。
以明朗手法描繪難受的心情——工藤小姐的故事是一首讓人不知不覺想唸出聲的詩,而松本先生則將浮現出來的想像繪成畫。
此次為紀念「いる」じゃん 的出版發行,我們訪問了兩位關於此書中想表達的想法以及製作中的心情。
工藤 很高興「いる」じゃん面世了。我從小便將瓢蟲和蝸牛當作朋友(笑)⋯⋯小時候大家都是這樣的吧?!寫這本書就好像在給朋友寫情信。
——繪本『「いる」じゃん』在《MONKEY》11號「沒有朋友!」中揭載,被大幅度加筆修正過。可以視為此作品的關鍵詞的「地球」在《MONKEY》揭載時並無出現,對於加上這個詞您有什麼想法嗎?
工藤 啊⋯⋯我覺得地球也是我的朋友啊⋯⋯啊哈哈!很傲慢呢⋯⋯可能是自己給自己變的「魔法」的錯吧⋯⋯
——魔法。
工藤 從以前開始,應該是中學時代吧,自己感到坐立不安的時候,會給自己創造所謂的「魔咒」,以唸魔咒來面對這個世界──做了類似這種事情。
最初的魔咒是「金木水火土」。
──「金木水火土」?
工藤 感到坐立不安的時候我會念誦太陽系行星的名字。藉著探索行星的名字,我的意識便飛到冥王星那裡去了,於是便覺得自己的煩惱很渺小,人生其實沒什麼大不了的!
——規模可真大啊(笑)。
工藤 反覆練習唸魔咒,不斷「訓練」自己(笑)。不久一唸「金木⋯⋯」就能輕快地瞬間移動了!
20 多歲的時候經常使用的魔咒是——「我所做的是我想做的、我沒做的是我不想做的」。最近我喜歡「三天和尚做十次也就三十日了」,很正面吧(笑)。
——原來如此。
好冷漠啊新井先生的回答。
工藤 失眠的夜晚,我喜歡幻想「沒關係。地球會抱著我一個人啊。我一點也不痛苦啊」(笑)。
「我一個人」——這是我的得意之處。地球會支持生物等等所有的東西吧。我覺得那個地球只抱著我一個對我說:「放心吧直子,我會支持你的」⋯⋯獨佔地球⋯⋯這空想很有效喔(笑)。
──的確如此。
冷漠的新井先生。
第二回「大家都如此啊」
松本大洋先生接收完充滿工藤直子小姐思想的文字訊息後,停下來思考如何將它們描繪出來。他並不想以圖畫臨摹文字,或是以文字臨摹圖畫⋯⋯
工藤 我也用地球抱著我的心情創造了《晚安》這首歌。將「Ryota」——小昆蟲——託付給 Okera。
晚安 Okera Ryota
(摘自詩集《野原之歌》)
砂粒 閉上眼睛向著枕頭
小聲說 「晚安 地球」
然後 肚子下方
傳來安靜的聲音
「我會抱著你 直到天明」
嘩—— 今晚 我可以睡得很好囉!
下定決心把自己當作 Okera,就可以輕輕鬆鬆地唱出來了(笑)。
——與其說輕鬆,倒不如說以幽默形式受到肯定吧!但是將這些文字變成圖畫挺難的吧?
工藤 我比較感興趣畫畫的人是經過怎麼樣的思考才畫成這些畫的呢?
松本 最初開會時,大家讀完直子小姐(工藤直子小姐)的詩,說到畫面不宜太壯觀,我個人也很贊成。但是,我印象中直子的文字是很少出現人類的,所以太偏向人類的話也不適合。而且,如果一下子飛到地球,總覺得像被丟下的感覺,比較難掌握。
松本老師會叫媽媽做「直子小姐」啊⋯⋯
——可否具體說說呢?
松本 如果一直重覆面對廣闊海洋的景色的話,會變成彷彿神仙般的文字,於是想加入「大家都如此啊」的觀點。例如,將身邊的風景加進去,像桌上的貓啊風扇啊,大概可以取得平衡吧,這方面花了很多時間去摸索。
工藤 嗯,這繪本的畫不需要解說,我喜歡這點。如果只是用繪畫臨摹文字,或者以文字臨摹繪畫,無論對繪畫或文字來說都很浪費。
松本 但是,看到文字的階段大概的繪畫構圖已經決定了,像要加上街道或者風景畫之類的構想。
——街道的樣子和風景您都畫得很真實呢!為了將大概的形象明快地畫出來,您都花了什麼苦功?
松本 對於直子小姐的文字我從以前開始就有種「好熱情啊!」的印象,不知是不是血緣關係的原因。所以加上一些低調的畫會不會變得很有趣呢?很難以文字去形容,不過畫越低調文字就越有說服力。
松本老師和工藤小姐的確是一冷一熱的組合,可愛。
工藤 原來如此。
松本 像長先生(長新太先生)一般,畫是訴之感性而非真實的話,比較能同時取得文字的平衡。如果畫得寫實便變成說明功能,無法取得平衡了。
——我懂!在過於抽象的世界,文字會很有節奏地展開,但畫太真實,反而文字會被「嘎」一聲停止了。反覆閱讀下更加深深地接受這點。
工藤 是啊⋯⋯可能讀這本書的人,有的只瞧瞧有的會細讀,每人都有自己品讀方法,不去強迫讀者一定要「像這樣去感受」,我比較喜歡這種方式。
畫畫的時候,有直覺的形象嗎?
松本 怎麼說呢⋯⋯沒怎麼煩惱「什麼文字應該配什麼畫」。
第三回「尋貓」
『「いる」じゃん』裡面有白貓和黑貓登場,對談的後續由美麗又嚴肅的兩隻小貓的故事開始。
工藤 我喜歡封面的白貓。
——工藤小姐和松本先生以 Ranmaru 這隻貓來比喻。 以「猫が海へ」(暫譯:「貓往海去」)啊、「ねこはしる」(暫譯:「貓跑」)等為首,工藤小姐的作品中有許多以 Ranmaru 作為題材呢。
工藤 是啊。
——Ranmaru 好像是黑貓吧?
松本 有貓爸爸和貓媽媽 Ranmaru 和 Iroko,還有牠們的小孩 Haru(白貓)。
工藤 有有!小貓都給大家拿走了,只剩下 Haru 留在我們家。
松本 只有牠是白色的呢。
工藤 是白色呢!
怎麼現在聽起來好像《羅浮宮的貓》主角雪子?!
——Haru 是個好名字!
工藤 其他的小貓叫 Hotaru 呀 Himiko 之類的。
——聽起來很神聖,要好好拜拜呢(笑)。
松本 這封面的構圖是因為我太太經常在家這樣抱著貓,於是便拍了這個姿勢畫出來了。
——封面是用 Milli PEN(沾水筆?)畫的嗎?
松本 先用鉛筆畫,然後在上面塗上薄墨。
工藤 這繪本的最終稿是鉛筆畫的吧!一般來說草稿用鉛筆畫,完稿後會擦掉鉛筆痕跡,這次是怎麼處理的呢?
松本 先在白紙上畫上草稿,就像畫漫畫的草稿一樣。 然後複寫到作畫用紙上, 這樣就畫好一條線了。
——原來如此!真的是跟漫畫手法一樣呢!
松本 是的。
——我們準備了原畫。
工藤 喔喔!我第一次看到原畫! 很想在你畫畫的時候偷偷瞄一下, 比如說畫封面的過程啊之類的⋯⋯(笑)
松本 畫這幅畫花了相當長的時間呢。
松本老師完全漠視了媽媽的興奮 XD
工藤 繪本的封面和封底是同一幅畫吧?封底用樹幹的主意是最初已經考慮好了嗎?
松本 不,這幅是在《MONKEY》上也刊登過的畫,當時請他們左右調換了,畫的時候還真沒想到要用來當封面呢!
從《MONKEY》刊登時到現在,文字變了,畫也變了,就像看著某個作品成長的過程。感覺充滿生機,故事本身在流動,登場人物任性地說起話來。
第四回「能聽到的聲音」
對談由『「いる」じゃん』的製作背景開始。工藤小姐今昔不變,還是從身邊的事物的觀點出發,創作出許多的詩。松本先生則像在守護著工藤小姐般,稍微保持距離,加上幾句。仿如被剛面世的『「いる」じゃん』誘惑般,對談漸漸進到兩位的記憶深處。
——我想聽聽你畫畫時的聲音,沙沙沙的。
工藤 你畫畫時會聽音樂什麼的嗎?我的話是在雜音,啊應該說世界的混雜聲音中寫文章的。
松本 音樂還挺常聽的呢。
工藤 是什麼類型的音樂?
松本 嗯⋯⋯一般放點爵士音樂,很主流的爵士,像 Chet Baker 啊 Bill Evans 什麼的。 但 Thelonious Sphere Monk 的音樂畫畫時就不會聽。
工藤 Monk 的音樂可能比較偏文學吧。
松本 感覺要很留心才能聽他的音樂。
——這星空好棒啊!
松本 這部分一開始畫了太多星星變得不像樣了,於是重新又畫了一次。 這次比較容易分辨夜晚和白天了。
工藤 這海的畫是後來才加的吧。
松本 是的。
工藤 畫的過程中你說想把大海也畫進去,我還在想你會將什麼樣的大海放到哪裏呢? 結果放到這裏來了⋯⋯(笑)
松本 直子小姐最初的文章中出現了海豚吧!因為有海豚那就需要畫大海了,於是去拍了大海的照片。可是修正後的詩並沒有大海(笑)。那要放哪裏好呢?
——但因為加入了遼闊的海洋的畫,出來的效果是作品本身也充滿空間感。
工藤 是會變廣闊了。
——這作品的背景是由《MONKEY》7 號至 9 號止分開三次揭載的,我覺得對於兩位而言「猫が海へ」(暫譯:「貓往海去」)的影響也很大。由這連載開始,工藤小姐的詩以及松本先生自由繪畫之間的協調,以及形象的飛躍都誕生了。可以說是有了「貓往海去」才和『「いる」じゃん』的世界聯繫起來。
工藤 在《MONKEY》11 月號特輯「沒有朋友!」中,被拜託「請為特輯寫點什麼」,於是便寫了。特輯的主題很有趣,自然而然想起了(「いる」じゃん)。
松本 我覺得「いるじゃん」給人的感覺是直子小姐一直說著的故事,像這樣給文章加上圖畫非常開心!
(終)
工藤直子小姐和松本大洋先生的談話之後還一直持續下去。工藤小姐推出一部叫「おまじない・えはがき」(暫譯:魔法.明信片)的作品,我喜歡其中的一首詩。
手掌裡總有
明天
大洋先生可能一直看著腳下看著天空,考慮自己的所在而活著。握著揮向天空的空空兩手,偶爾變成動物,偶爾給花看看。
『「いる」じゃん』是一個關於難過寂寞而溫柔的夏之少年的故事。請一邊感受許多不思議的地方一邊讀讀看喔!
「いる」じゃん 刊行記念特別対談
くどうなおこ × 松本大洋
(聞き手 新井敏記)
第1回 『言葉のおまじない』
2017年7月7日、七夕。
大事な人が出会うこの日、
一冊の新しい絵本が全国の書店に並びました。
『「いる」じゃん』
詩人、童話作家の「くどうなおこ」さんと、
漫画家「松本大洋」さんによる合作です。
切ない感情を明るく描く、くどうさんの物語はついつい声に出したくなる詩のつらなりです。
そこから浮かび上がるイマジネーションを松本さんが絵にしました。
今回は『「いる」じゃん』の刊行を記念して、
本に込めた思いや、制作中のお気持ちについて語っていただきました。
くどう 『「いる」じゃん』が生まれて、うれしいです。小さい頃から、テントウムシやカタツムリたちを(トモダチじゃん)と思ってまして(笑)……子ども時代は、誰でもそうかも、ね。これを書いているとき、トモダチへの恋文を書いている気分でした。
——絵本『「いる」じゃん』は『MONKEY11号(ともだちがいない!)』に掲載され、大幅に加筆修正されたものです。同作品の一つの鍵とも言えるワード「地球」はMONKEY掲載時にはありませんでしたが、付け加えられたのにはどのような思いがあったのでしょうか。
くどう やぁ、地球のことも(トモダチじゃん)と思っていまして…あはは。態度でかいね…たぶん、自分のためにつくった「おまじない」のせいだと思います。
——おまじない。
くどう むかしから……中学時代かな……自分がアタフタ・オロオロしたとき、自分用の、いわゆる「オマジナイ」をつくって、それを唱えることで、この世を受けて立つ、みたいなことを、してたんです。
最初は「水金地火木」でした。
──「スイ・キン・チ・カ・モク」?
くどう アタフタ・オロオロになったら、太陽系の惑星の名前を唱えるんです。そうやって、惑星の名前をたどって意識を冥王星まで飛ばす。すると、抱えている悩みが、ちっぽけに思えて、人生「なんぼのもんじゃい!」となれる。
——スケールが大きいですね(笑)。
くどう なんどもオマジナイを唱える練習をして“トレーニング”します(笑)。
そのうち「スイキン…」というと、ピョンっとワープできるようになりました。
20代に多用したオマジナイは、「やったことはやりたかったこと、やらないことはやりたくなかったこと」。
最近の気に入りは「三日坊主も十回やれば三十日」です。前向きでしょ(笑)。
——なるほど。
くどう 眠れない夜などには、(いいもん。地球がわたしだけを「だっこ」してくれるもん。つらくないもん)と空想するのがすきでしたね(笑)。
私だけ、というのがミソです。地球は、生き物などすべてを支えてくれているわけでしょ。その地球が私だけを抱いてくれる「安心しろ直子、おれが支えてやる」って言ってくれると思う……地球独占……効き目ありますよ、空想って(笑)。
──たしかに、そうですね。
第2回 『みんなそうだよな』
松本大洋さんはくどうなおこさんの思いがあふれる言葉を受けてどのように絵を描くのか、たちどまって考えた。絵が文字をなぞったり、文字が絵の意味をなぞったりすることはやめようと……。
くどう 地球がわたしを抱いててくれるという気持ちを「おやすみ」というウタにもしました。「りょうた」という名前の、ちびっこ昆虫、オケラに託しまして。
おやすみ おけらりょうた
(詩集『のはらうた』より)
すなつぶ まくらに めをつぶって
ちっちゃなこえで いったんだ
──おやすみなさい ちきゅう
そしたら おなかのしたから
しずかなこえが きこえたんだ
──あさまで だいててあげよう
わあい こんやは よくねむれるぞ
オケラになりきってウタうと、ラクチンでうたえちゃう(笑)
——楽というか、ユーモアとして肯定してもらえますよね。ただそんな言葉を絵にする時ってとても大変なのでは。
くどう 絵を描くひとは、どういう経緯で、こんなふうな絵を描くのか…関心があります。
松本 最初のころの打ち合わせで、直さん(くどうなおこさん)の詩をみんなで読んだときに、あんまり壮大な絵にしない方がいいっていう話になって、僕自身も絶対そうだなって思ったんです。でも、もともと直さんの言葉って、あんまり人間が立ってこない印象が僕にはあるので、あんまり人間に寄り過ぎるのも違う気がして。さらに、どーんと地球に飛ばれてしまうと、なんか置いてきぼりにされてしまう感じがある。その辺の割合が難しかったです。
──具体的には?
松本 広大な海を臨む風景とかの、繰り返しでずっと行ってしまうと、仙人の言葉みたいな感じになっていっちゃう気がしたので、“みんなそうだよ”って感じの視点を入れたいなと。例えば、テーブルの猫とか扇風機といった身近な風景を間に挟んだり、どこかいいバランスがあるかなっていうのはすごく探しましたね。
くどう うん。この絵本の絵たちは解説を必要としない。そこがすきです。絵が文字をなぞったり、文字が絵の意味をなぞったりすると、絵も、文字も、もったいない。
松本 でも、言葉が上がってきた段階で一通りの絵は大体決まったな、という感じだったんですよ。街や風景の絵を入れようっていうのは。
——街の様子も風景も、すごくリアリティのあるものを描いていらっしゃいますよね。大体のイメージを明快な絵に描き出すために、どのような工夫をされたのでしょうか。
松本 直さんの言葉には以前から“熱いなあ”という印象をずっと持っていたんです。血が濃いっていうか。だからちょっと引いた絵が入ると、面白いのかなって。言葉で説明するのは難しいんですけど、絵が引けば引くほど言葉はどんどん力強くなってくる。
くどう なるほど。
松本 絵が長(長新太)さんみたいに、感性に訴えかけるような、リアルでない方が、言葉も一緒にバランスが取れる気がするんだけど、絵をリアルにすると説明的になって、うまくいかない。
——わかります。あまりにも抽象的な世界だと、言葉がばあっとリズムのように広がっていくんですけど、絵がリアルに描かれることで、言葉がピンで止められるんです。それが余計、読み返すとしっとりと、深く納得させられます。
くどう そうですね。多分この本、眺めたり読んだりした人が、各人各様の味わい方をしてくれる気がします。読者に「こう感じて」って押しつけてないのがすきです。
絵を描く際、直感的なイメージってあった?
松本 なんだろう。この言葉にはこの絵だなっていうのはそんなに悩まなかったんだよな。
第3回 『猫を探す』
『「いる」じゃん』に登場する白い猫と黒い猫がいます。美しい凛とした二匹の猫の話から対談のつづきがはじまります。
くどう 表紙の白い猫、すきです。
——くどうさんと松本さんがのところにいた「らんまる」という猫を彷彿させます。「猫が海へ」や「ねこはしる」をはじめ、くどうさんの作品にはらんまるをモチーフにした作品が多くあるそうですね。
くどう はい。そうです。
——たしか「らんまる」は黒猫ですよね。
松本 「らんまる」と「いろこ」という親猫がいて、その猫の子どもに、「はる」という白い猫もいたんです。
くどう いたね。子猫はみんなに貰われていったけど、「はる」だけ我が家に残りました。
松本 あいつだけ白かったんだよね。
くどう 白かった。
——「はる」って素敵な名前ですね。
くどう ほかの子猫は「ほたる」とか「ひみこ」というなまえです。
——神々しい、きちんと拝まなきゃいけない(笑)。
松本 この表紙の構図は、家でいつも奥さんが猫をこうやって抱いているので、そのポーズを撮影して描いたんです。
——表紙はミリペンで描いたのでしょうか。
松本 鉛筆で描いて、その上から薄墨をつけていきました。
くどう この絵本では鉛筆書きが最終稿ですね。普通、下書きを鉛筆で描いて、仕上げたら鉛筆書きを消すわけだけど、どう処理しているんだろう?
松本 コピー用紙にまず下絵を描くんです。まだ当たりがついたもの。いわゆる、漫画の下絵を描くような感じですね。それを画用紙にトレースして、こうして一本の線に決まっていきます。
——なるほど。ある種、本当に漫画の描き方と同じ手法なんですね。
松本 そうですね。
——こちらに原画をご用意しました。
くどう おお、原画は初めて見ます!
描いている現場……たとえば表紙を描く過程など……そばでこっそり、眺めていたいもんです(笑)
松本 この絵は結構時間をかけましたね。
くどう 絵本の表紙と裏表紙は一枚の絵でしょう。木の幹の絵は裏表紙に、と最初から考えてたのかな?
松本 いや、これはMONKEYにも掲載された絵なんだけど、そのときとは左右を入れ替えてもらってる。まさかこれを表紙にすると思って描いてないからね。
(つづく)
MONEKY掲載の時からことばも変わり、絵も変貌を遂げていきました。一つの作品が成長する過程を見るような思いです。生き生きとして物語が動き登場人物たちが勝手に話し出すように感じました。
第4回 『音が聴こえる』
『「いる」じゃん』の制作背景から始まった対談。今も昔もほとんど変わらずに、身近ないろいろなものの視点を借りながら詩を生み出し続けるくどうさん。そんなくどうさんをちょっと離れた距離感で見守るように言葉を添えていく松本さん。まだ生まれたばかりの『「いる」じゃん』に誘われるように、対談はだんだんと二人の記憶のより深い場所へ。
——描いているときの音を聴いてみたいです。シャカシャカシャカ……って。
くどう 絵を描くときは音楽など聴いたりするのかな?
私は雑音、というか世の中の音がゴチャゴチャしてる中で文を書くけど。
松本 音楽は結構聴いてるかな。
くどう どんな音楽?
松本 うん、大体ジャズかけてますね。すごくメジャーなやつです。チェット・ベイカーとかビル・エヴァンスとか。でもセロニアス・モンクとかは作業中かけない。
くどう モンクって文学的かも。
松本 ちょっと気を張ってないと聴けない感じがあるので。
——この星空がすごいですよね。
松本 ここは、はじめはいっぱい星を描き過ぎてみっともなくなっちゃって、もう一回最初から描き直したりしたんです。割と分かりやすい夜と昼になりましたね。
くどう この海の絵は、あとから加わりましたね。
松本 そうだね。
くどう 描く過程で海も入れたいと言ってたから、どこにどのように入るんだろうと思っていたら、ここにこのように入っていた(笑)
松本 最初は直さんの文章にもイルカとか海があったんだよね。
それがあるから、海の絵がちょっといるなあっと思って、海の写真を撮りいったんですよ。でも、修正された文章にはもうなかったので(笑)。じゃあどこに入れるかなって。
——でも広大な海の絵が入ることで、結果として作品自体が広がりを見せています。
くどう 広がりますよね。
——この作品の背景にはMONKEY7号から9号の3回に渡って掲載された、お二人による「猫が海へ」の影響も大きいと思います。この連載からはくどうさんの詩と、そこから描き出される松本さんの自由な絵の調和、かつイメージの飛躍も生まれた。「猫が海へ」があって『「いる」じゃん』の世界に繋がったとも言えるのでは、と。
くどう MONKEY 11月号の特集が「ともだちがいない!」で、その特集に何か書きなさいという依頼を受けて書きました。
特集のテーマが面白くて、自然に(「いる」じゃん)って思っちゃった。
松本 自分としては、「いるじゃん」という感覚はずっと直さんが言い続けていたことだし、こうやって文章に絵を付けられるのはとても楽しかったですね。
(おわり)
くどうなおこさんと松本大洋さんの話はこの後もずっと続きました。くどうさんに「おまじない・えはがき」という作品があります。その中の一篇の詩がすきです。
手のひらにいつも
あした
大洋さんはいつも足下を見て空を見て、いまいるところを考えて生きてきたのかもしれません。空にかざしたからっぽの手をつないで。ときに動物にしたり、ときに花に見せたり。
『「いる」じゃん』は、切なくて寂しくて優しい夏の少年の物語です。どうか、たくさんの不思議を感じながら読んでみてください。